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カラフルでも無色でもなく、淡く色づいた日々を送りたい

【ネタバレあり】「君の名は。」勝手な考察

今、日本中で大きな話題を呼んでいる『君の名は。』について、いくつか疑問に思ったことがあったので、勝手に考察してみました。

かなり曖昧な知識に基づく考察です。ここはおかしいといった意見がございましたらコメント頂ければと思います。

 

 

以下ネタバレを含みます。

 

 

 

疑問に思ったのは

①「なぜお互いに「あいつ」とか「あの人」というように存在は認知しているのに、名前のみ忘れてしまうのか」

②「瀧くんが付けているはずの組紐を見れば、三葉も何か気付くのではないか」

ということです。

 

まず大きな前提として「歴史の修正力」の存在を認めましょう。歴史が、確定している事象の変化を許容できなくなったときに、それを修正するために個人の記憶や物体の変化に影響を及ぼすもの、と私は解釈しています。

 

 

では1つ目。私が考えたのは、上記の修正力によるもので、2人が元の身体に元の意識が戻った段階で、記憶が本来の持ち主である自身の身体によって修正されて、入れ替わり中の体験の記憶は薄れるというものです。

本来入れ替わった先の記憶を持つことは歴史上ありえませんから、それを修正したと考えます。

だからカタワレ時に2人が本来の自分として対面した後に、本来の身体に本来の意識が戻ったことによって、記憶の修正が起きて名前を忘れてしまうと。これは分かります。

 

であるならば、瀧くんの意識の中にあった「彗星がこれから落下してきて、町が消滅する」という記憶は三葉の意識が三葉の身体に戻った段階で、三葉の記憶から消えていかないとおかしいはずです。

ここで、瀧くんの意識が三葉に入って行動を起こして、その後三葉の意識が三葉の身体に戻ったから、三葉の身体が三葉の意識に瀧くんの意識として行動していた時の記憶を移したために、三葉は瀧くんの行動を引き継げた、としましょう。

そうすると、瀧くんの意識は当然瀧くんの名前を覚えていますから、三葉に戻った段階で三葉の記憶から瀧くんの記憶だけが消えていくのはいささか不自然ということになりますね。

それに、三葉は瀧くんが三葉の手に書いた「すきだ」の文字を見たときには瀧くんの存在を認知していますからね。名前だけ忘れるというのは不自然です。

 

次に瀧くんの場合。瀧くんはカタワレ時の入れ替わりの後、三葉についての記憶をすっかりなくしています。自分がそこに居た理由も覚えていません。この瀧くんは三葉の歴史改変によって、被害の出なかった糸守町にいると考えられます。ここは後で整理しましょう。

 

もうひとつの事例としては瀧くんのケータイから三葉のエントリが消えるというのがありました。これは瀧くんの中で「三葉という存在が“生きていた”のがあの現場を見たことで“死んでいた”」という事実を知り、記憶の修正が起こったからでしょう。

 

 

それでは2つ目の謎、「三葉の髪を結んでいた組紐」について考えていきましょう。

組紐はもともと三葉のものでした。いつも髪につけています。

瀧くんとの入れ替わりの間も、三葉の意識が三葉の身体に入っているときには付けています。そして彗星が落ちる前日に三葉は東京に行き、瀧くんに組紐を渡します。組紐はその後、瀧くんが3年間お守りとして付けています。

 

その3年後、高校生となった瀧くんは糸守町のご神体に供えてあった口噛み酒を飲み、3年前の彗星が落ちる日に三葉として戻り、その日のカタワレ時に自らの身体に意識が戻った時に、三葉に組紐を返します。

すなわち、三葉にとってみれば組紐を渡した次の日に返してもらったわけですね。

 

ここで疑念が生じます。

1つ目は「なぜ2人とも組紐を見てあれ?と思わなかったのか」

2つ目は「組紐が同時期に2つ存在する」

ということです。

 

1つ目については、まぁ無理を言えば歴史の修正力でしょう。

もし、お互い気付いたら「あれ、なんでこの紐をこいつが?」と思って、3年のズレに気付いたりしてしまうからでしょう。個人的には組紐を見て3年のズレに気付いて、彗星との因果関係を見抜いて行動するみたいなストーリーが欲しいところですが、本編ではそうはいかなかったわけです。

 

2つ目については、整理してみると、三葉が紐を持っていないのは彗星が落ちる前日に瀧くん(中学生)に渡してから当日のカタワレ時までです。それに対して瀧くんは彗星が落ちる前日に三葉に貰ってから3年と2週間程度先(糸守町を訪れた日付が曖昧なため)、持っていたわけです。つまり、3年と2週間程度、組紐は2つ存在しているわけです。困りましたね。

 

ここまでの疑問を解き明かすには結局世界線の議論を持ちこまなければいけないようです。

 

まず、三葉が死ぬ世界線をA、三葉が生きる世界線をBとしましょう。ここで、世界線の分岐がどこかという話になりますが、これはカタワレ時でしょうね。

 

まず、基本的には物語はAの世界線で進行します。つまり、Aの三葉とAの瀧くんが入れ替わっています。これは問題ないでしょう。組紐は彗星が落ちる前日に瀧くんに渡り、ずっと瀧くんが持っています。そして、瀧くんが口噛み酒を飲んで過去の三葉に戻り、カタワレ時まで活動します。これはまだAの世界線です。なぜなら、カタワレ時には瀧くんが組紐を持っているからです。そして、カタワレ時が世界線の分岐点です。組紐を渡すと、Aの世界線からBの世界線へと移ります。

 

Bの三葉は彗星の落下を知り、なんやかんやで町を救いますね。そしてBの瀧くんはAの記憶を失い、三葉のことも忘れているわけです。Bの瀧くんは起き上った時こそ、カタワレ時の記憶によってAの記憶をちょっと持っていて、手の文字への疑問や組紐を持っていない事を覚えていますが、すぐに歴史の修正力によって忘れてしまいます。

つまり、Bの瀧くんにとっては、三葉は「中学生時代に電車内で会った人」でしかないはずなのです。なのに、Bの瀧くんはBの三葉を探している…ここはなんとも、不思議ですね。

フォローするなら、このあたりのシーン「三葉視点での描写は無い」のですよね。三葉は組紐も持っていますし、世界線の移動による記憶の消去も行われていないはずですから、瀧くんのことを覚えていそうです(実際どうかは不明)。

また、世界線の移動前の記憶を多少保持するというのはこの手の作品によくあるパターンですので、B世界線の瀧くんは自らは何もしてないのだが、A世界線の瀧くんの記憶を多少持っているのかもしれません。この辺りは「かつてとても強い気持ちで、俺はなにかを決心したことがある」(p246 )等からもうかがえます。

 

そして、前述の疑問点ですが、記憶については「組紐」が記憶のストレージになっているというのが1つの解決なのかなと思います。だから組紐を受け取った三葉は瀧くんの行動を引き継げたと。組紐をつけている方は、相手の記憶を保持していますからね。名前は忘れるようですが。

組紐はハードディスク説。これが1つの解決になりそうです。

 

 

君の名は。」について、他に考察されている方の記事もいくつか読ませていただきましたが、同様に矛盾点を多く抱えているという結論になっている方が大半でしたね。純粋に作品を楽しみたいところですが、映画を見ている間にもいろいろ疑問が生じてしまいましたし、設定の甘さを感じざるを得ませんでした。

作画の美しさや演出、音楽は素晴らしくて引き込まれました。

トーリーの充実があれば、もっといい作品になったのかなと思いました。

 

長い記事をお読みくださった方、ありがとうございました。何かございましたら是非コメントを頂ければ幸いです。

 

 

映画を見るだけでは分からない、2人の心の中の声の描写が、小説では細やかに書かれていて面白かったです。高校生らしい素直な言葉遣いも読んでいて微笑ましかったです。気になった方はぜひ小説版も読んでみてください。